2021.11.16

ボランティアセンターの活動

 日本社会では「奉仕=ボランティア」という理解が特に年配層に強いように思われます。この「奉仕」という言葉には自己犠牲・献身・指揮命令への従属といったニュアンスが強く、奉仕する人々の主体性は顕れず、誰かが定義・指揮する「忍耐のいる肉体労働」に黙々と従事するというイメージではないでしょうか。エラい方々が「最近の若い者はなってないからボランティア(奉仕活動)させろ」という時に使う用法がまさにこれです。本学ボランティアセンター(以下、ボラセン)は、このような立場とは対極に立っています。私たちは「なっていない若い者を叩き直す」のではなく、「志はあるが必ずしも方法論を持っていない学生たちにヒントを与え、相談に乗り、ロジスティックスの支援をする」ことを通じて、どのような現場でもリーダーたりうる有為な人材を、東日本大震災以降の4年間で社会に送り出してきたという自負があります。

 本学ボラセンの考えるボランティアは命令されてする「奉仕」ではありません。Volunteerを英語辞書でひいてみると、「徴兵されたのではない兵士」と出ています。自発的に手をあげて危険な最前線に赴く人々です。自発的に志願したからこそ、様々なリスクを回避しつつ、五感を研ぎ澄ましてミッションを達成しようとし、士気が高いのです。もう一つ例を挙げれば、英語ネイティブのクラスで教師が学生に自発的な発言や貢献を求めるときには、"Who volunteers?"と問いかけますが、これも「志願」という意味です。ボランティア概念にとって一番大事な要素は「自発性」であり、その次に「無償性」や「利他性・公共性」といった要素が来ます。これら「無償性」(手弁当であること)あるいは「利他性」(他者ニーズへの対応)などの意味内容もまた、咀嚼しないまま機械的に行動基準にしようとしても、すぐに現場で行き詰まってしまいます。以下説明します。

 ボランティアという言葉が意味する「無償性」というのは「労働力の対価としての賃金は求めない」ということに過ぎず、一切カネが要らないという意味ではありません。例えば貧乏学生が東北被災地に継続的に通おうとしても交通費・宿泊費まで自腹なら無理が生じてしまいます。現地で様々な人に会い、状況を確認し、刻々と変わる状況に対応するためのコストもかかります。ボランティアが組織的に活躍するためには、それをコーディネートする、専門知識を持った有給スタッフが不可欠ということなのです。阪神淡路大震災直後の「素人ボランティアがとりあえず集まった」という状況から20年も経過しているのですから、時代は「継続的ボランティアとそれをコーディネートする専門的組織」へと、とっくに進化しているのです。東日本大震災の現場で、「迷惑をかける年配ボランティアはいても、学生ボランティアのトラブルはほとんど聞かなかった」と言われるのには理由があります。大学ボランティアセンター業界が機能したのです。

 もうおわかりでしょう。無償で労働の対価を貰わないから適当・場当たりで良いということには全くなりません。ボランティアはミッション(達成すべき使命・理念)を持ち、五感を使い周囲の状況を認識し戦略をたて、何よりも目の前にいる他者を理解し共感できなければ、刻々と変化する最前線で役に立つはずもないのです。先ほど示唆したように他者や状況を深く理解しようともせず、ミッションの説明もできないまま、やりたいことだけやって帰る人を「迷惑ボランティア」「自己満足ボランティア」といいますが、一つにはこのような事態を防ぐために、ボランティアセンターと専門スタッフが置かれているのです。世間というものは悪い例の方が目立ち口コミで流通しやすい(悪貨は良貨を駆逐する)ので、ボランティアをしたことのない学生の間にはしばしば「ボランティア=自己満足/偽善」という誤解がはびこることになります。しかし、繰り返しますが時代は先に進んでいます。

 さて、先ほどの「利他性」についてはどうでしょうか。「他者ニーズに対応する」と先ほど言い換えましたが、よく考えると正確な表現とは言えません。第一に、この「他者」がニーズを言語化できないことがあります。心に傷を抱えた子どもが乱暴になり周囲に迷惑をかけているとき、それは「ニーズの発露」だからボランティアはそれを放置ないし促進していい、となるでしょうか。だから第二に、そもそも「ニーズ」とは何か考えねばならなくなります。子どもは将来に向けて蓄積をつくり成長すべき存在であり、「いまやりたいこと」(=現在の「ニーズ」というよりは「ウォンツWants」)が優先すれば乱暴とかゲームとかばかりになりますが、将来に向けた投資としては勉強させ考えさせ計画をたてさせ(=本人も未だ認識できていない長期的なニーズ)なければ、せっかく大学生が行った意味がありません。このように、未発のニーズも考慮しつつ、現場の状況と自分たちの能力を踏まえて定義されるのがボランティアミッションです。それは不断に修正されますが、尋ねられたら説得力をもって返答できなければなりません。「理念なきボランティアは必要とされない」とは中央大が気仙沼で3年間お世話になった故・黒田裕子氏(日本における災害看護の第一人者。「日本のマザー・テレサ」「仮設住宅の天使」と言われた)の口癖でした。

 ボランティアという言葉は奥が深いのです。しかし、この奥の深さに立ちすくんで、自分の世界を狭め、現場の楽しさを知らずに済ませてしまうのも残念なことです。勇気を持って自発的に手をあげた学生の肩を押し、後ろからサポートするのが本学ボラセンの仕事です。

※詳しくは本学ホームページをご覧ください。