「シンプリーヘルプ・カンボジア」職業教育の成功モデル

ロッテ・N・グーデ
LOTTE N. GOEDE シンプリーヘルプ財団
(国連経済社会理事会に協議資格を有するNGO)開発部長

ドナ・プリーズ=マーフィー DONNA PULESE-MURPHY
フリーライター、教育者

カンボジアの農村部に住むモム・プーンは幼いときに父親を亡くし、母親は慢性疾患をわずらっている。牧牛が一家の唯一の収入源で、増える一方の母親の医療費を賄いきれなくなっていた。モム・プーンは打開策を求めて、村に開校したばかりの「シンプリーヘルプ」の洋裁学校に通い始めた。手に職をつけ、周囲から認められるようになったモム・プーンは今や自活できるようになっただけでなく、母親に必要な治療を受けさせてやることもできる。

カンボジアは長く紛争に苦しんできた国である。ポルポト率いるクメール・ルージュが1975年に権力を握った後、170万人の国民が死亡したと推定されている。知識層や教育ある人々の多くが処刑され、文化的遺産が破壊された。ポルポト体制による破壊の傷跡は今もカンボジア国民に残っており、この国は世界の最貧国の一つである。

2001年、シンプリーヘルプ財団はカンボジア支部を設立することにした。財団が運営する二つの職業訓練学校――洋裁学校とコンピュータ学校――はこれまでに4千人の卒業生を輩出し、そのうち85%が大企業や銀行、非政府組織に就職するか、自分の店を開業している。なかには高等教育機関に進学する者もいる。

移動式洋裁学校――貧困の傷を縫い合わせる

シンプリーヘルプ洋裁学校は2002年に正式に開校し、手に職をつけるだけでなく自活できるようになるための手段を多くの人に与えている。この学校は移動式で、こうした学校が最も求められている水田地帯の貧しい村々を巡回する。学校の次の設置先に選ばれた村では村長が自宅を開放し、そこに臨時の学校が設置される。高度な資格を持つ洋裁教師が週に2~3日プノンペンから村に派遣されて2名の補助教員を指導し、教師が村に不在の日はこの補助教員が授業を行う。授業は午前と午後の1日2回で、生徒たちはどちらか1回の授業を受け、残りの時間は農作業に当てることができる。履修期間は6カ月、授業料は無料である。開校以来、今日までに8回にわたって場所を移し、卒業生は1,686名を数える。

カンボジア農村部におけるこの種の教育の必要性は、驚くほど大きい。たとえばクラン村では、卒業から3カ月後には80人の卒業生のうち10人が、ミシン1台といくらかの布地だけを手に自宅の居間で細々と自営を始めたが、かなりの収入を手にしている。他の村でも同様に、卒業生たちが次々と仕立て屋を開業し、安定した確実な収入を得ている。農業に付き物の苦労とはまったく対照的な暮らしだ。こうした店のなかには、やがてショーウィンドウに美しい服が飾られ、誇り高い店主が経営する立派な事業に発展したケースもある。

洋裁学校の社会的・経済的影響

自分の店を始めた洋裁学校の卒業生は、見習い生を受け入れて知識を伝えている。こうした見習い生は店主に150ドルを納めると、基本的な技能を修得するまで店に置いてもらえる。公立の学校に行けば逆に給付金がもらえるのに、なぜわざわざ150ドルも払うのかと見習い生らに尋ねると、「質が違う!」という答えが返ってくる。

シンプリーヘルプ・カンボジアのコーディネーター、ヴティ・センによれば、女性たちは卒業した後に社会的地位が変わるという。「カンボジア農村部の若い女性は、伝統的に家庭にとどまることを強いられてきました。しかし、こうした女性たちが村にやってきたシンプリーヘルプ洋裁学校で、首都の私立学校なら2年から3年かかる課程をはるかに短期間で履修して卒業すれば、技能を身につけ、収入を得られるようになる。そうすると、夫との関係がより対等になるのです。そうでない女性はあくまで夫に従属する立場として扱われ、家庭での決定権もほとんどありません」

さらに、この収入の増加は女性の社会的地位だけでなく、コミュニティ全体にも影響を与える。たとえば、洋裁学校の生徒は全員が農業か牧牛に従事していて、平均収入は1日当たり1ドルか2ドルしかない。しかし、自営を始めた卒業生は平均収入が1日3~7ドルに増える。増えた分の収入は生活必需品に使われるだけでなく、自身の事業やコミュニティに再投資されるのである。

コンピュータ学校――可能性を開拓する

同じく2002年に開校したシンプリーヘルプ・カンボジアのコンピュータ学校は、首都プノンペンにある。教育の質が高いうえに費用が安いため、3カ月ごとの生徒募集では100名の定員に対し200~250名の応募がある。多くの場合、低所得世帯の出身者や孤児、障害者が選抜される。この学校ではマイクロソフトのワード、エクセル、パワーポイントの使い方を学ぶ。2002年から2009年までの卒業生は計2,784名である。

コンピュータ学校の教員ソファト・プーンは、カンボジアの農村地域出身の障害を持つ青年である。幼い頃に事故で右足が不自由になり、就業機会は非常に限られていた。そこで2002年にコンピュータ学校に入学し、卒業後はボランティアとして働いた。勤勉で熱心な仕事振りが評価されて2003年に教員として採用され、今では自活できるばかりか家族も支えられるようになった。

コンピュータ学校の社会的・経済的影響

カンボジアが世界の情報技術に追いつきつつあることを示す兆候がある。コンピュータ学校では、クイックブックス(税務会計ソフト)、フォトショップ(画像編集ソフト)、アクセス(データベースソフト)、ピーチツリー(会計ソフト)などの専門性の高いコンピュータ教育の需要が増えているのである。

注目すべき傾向として、生徒は女性より男性のほうが多いものの、女性の数が年々着実に増えていることがある。卒業生に多い職種は、企業でのデータ入力やスーパーマーケットのレジ係である。欧米の人から見れば、レジの操作に基本的なコンピュータ技能が必要とは思いも寄らないかもしれない。他に、事業経営者や公務員、教師になったものも少なくない。たとえば、カンボジアで活動する日本の教育系NGOの事務局長になったキ・ブン・ヒアン、国内屈指の有力銀行の管理職になったチェア・リダ、国庫局のラタナキリ州支局長になったヌティ氏などである。

シンプリーヘルプ・カンボジアは経済的・社会的成功のための教育モデルだが、さらなる活動が必要とされているのは確かである。規模の大小にかかわらず、この種の職業教育の取り組みを支援することが重要だ。こうした取り組みは、個人が自らの新たな人生を築く助けになるだけではなく、経済的に自立したコミュニティの存続につながるのである。