国のアイデンティティと少数言語

「必需品」としての言語、「事業」のための言語を使う能力の獲得を追求するなかで、少数言語や、ときには少数文化までが犠牲にされることが少なくない。

カミラ・ガザリ KAMILA GHAZALI
マラヤ大学(クアラルンプール)言語学准教授

国民を一つに統合するための言語政策は、教育制度にどこまで組み込めるのだろうか? ほとんどの国では一つ以上の言語を公用語(official language)に定めており、それとは別の言語を国語(national language)としている国もある。これが必要な理由は明らかで、共通の言語があれば連帯感が生まれ、国民としてのアイデンティティと国に対する誇りの意識が浸透するからである。しかし、こうした言わば「必需品」としての言語、「事業」のための言語を使う能力の獲得を追求するなかで、少数言語や、ときには少数文化までが犠牲にされることが少なくない。研究が示すところによれば、ほとんどの家庭で教育推進の中心的な役割を担う母親は、自分の母語ではなく「学校で習う」言語で子どもを育てようと腐心している。小学校や、あるいは就学前教育に入る時点で他の子より有利なスタートが切れるようにするためだ。

多民族国家であるマレーシアは、国民を調和のうちに維持してきたことで知られている。ご存知の方も多いと思うが、この国はマレー系、中国系、インド系という三つの主な民族で構成されている。それぞれの民族のなかに、いくつもの方言や基本語の異形が存在する。その他に、マレー半島内の各地に加え、サバとサワラクの二州があるボルネオ島でも何十もの少数言語が使われている。これらの住民はオーストロネシア語族またはオーストロアジア語族に分類されるさまざまな先住民族集団に属する。

マレーシアの公用国語は「マレーシア語(バハサ・マレーシア)」と呼ばれるマレー語で、「国家統合の基盤」(i)とされる。しかし、マレーシア政府は国際語としての英語の重要性を認識し、「確固とした第二言語として英語教育が行われるようにするための措置をとる」と付け加えている。

他の二つの主要民族の言語を維持するための取り組みとして、政府は初等教育レベルで二種類の学校を用意している。マレー語で授業を行う国民学校(national schools)と、中国語かタミル語で授業を行う国民型学校(national type schools)である。現在の政府が主要三民族の連立政権であることを考えれば、この措置に政治的動機がないと言い切るのは世間知らずというものだろう。それでも、これらの言語の持続可能性をある程度まで確保するうえで優れた取り組みだと言える。主要三民族の内部にも方言の違いが存在する(タミル語はさほどでもないが)。マレー系社会には地域によって10以上もの異なる方言があるが、「世代間移行」(ii)がなければ方言は失われてしまうかもしれない。反面、家庭で方言が使われ次の世代に継承されていく限り、存続する望みはある。

中国系は民族的出自によって、福州語、広東語、閩南語、客家語などの異なる方言を話す。しかし、中国語の学校では標準中国語(北京語)で授業が行われるため、各家庭では子どもが授業についていけるようにと幼い頃から北京語で話しかけ始める。北京語が中国系国民の間で優先されるのは、この言語を通商経済上のコミュニケーション手段とする認識が彼らの間で高まっているためだ。北京語圏が次期経済超大国であること、あるいはすでにその地位にいたっていることに議論の余地はない。この将来の超大国の「世界」に我が子が参加していくのだという親たちの意識が高まれば高まるほど、自らの言語と文化を失う中国系マレーシア人の子どもが増えるおそれがある。

とはいえ、マレー語、中国語、タミル語に関しては、この三民族の人口動態はきわめて安定しているため、言語や方言の完全な喪失のリスクはごくわずかである。総人口2825万人(iii)のうち、マレー系は約50.4%、中国系は23.7%、インド系は7.1%を占める。中国語方言と同様に、マレー語方言についても国内外の多くの研究者が調査と報告を行っており、マレー語使用者の間には依然として強い民族言語的活力がある。ある言語学者の研究によれば、「民族言語集団が持つ活力が強いほど、自らの言語を使う能力は高まり、集合体として存続し繁栄する可能性も高まる」という(iv)

一方、マレーシアの比較的小規模の言語コミュニティの運命は、それほど明るくないかもしれない。何百という数の既存の小規模コミュニティは、合わせて人口の18.8%を占めている。半島側の先住民族言語はネグリト、セノイ、原マレー(プロトマレー)という三つの主な言語群に分かれ、さらに言語や文化の違いによって18以上のサブグループに分かれる。

セノイ語群に属する言語を話すマー・メリ族に関する2006年の研究(v)では、マレーシア人として3世代目にあたる層では、母語の使用が徐々に減少していることがわかった。子どもたちは全員が少なくとも15歳まで就学し、一握りは高等教育まで進む。マー・メリ族の社会では教育が重視され、言葉や服装を通じてマレー系コミュニティと同化したいと望む者も一部にいる。事実、この研究で話を聞いたマー・メリ族は、母語に誇りは持っているが、なぜそれを学ぶ必要があるのかわからないと答えた。彼らにとって母語は、次世代に継承すべき有用性を持たない。なかには、耳当たりのいいマレー語に比べると母語の音は「あまり感じがよくない」とまで言う女性もいた。この部族は郊外地域に住み、近くの町で職を得られるし、マレー系、ジャワ系、中国系など他の言語コミュニティの人々と接触する機会もある。母語のマー・メリ語を話すときでも、あちこちにマレー語や英語の単語が入り込んでくる。

私が訪ねたもう一つの先住民族で、原マレー語群に属するジャクン族は、エンダウロンピン国立公園の森林保護区の周辺に居住し、他のコミュニティからは孤立している。彼らの村へ行くには、未舗装の密林路を四輪駆動車でおよそ三時間走らなくてはならない。しかし、彼らは他のコミュニティからは離れて暮らしていても、部族として孤立してはいない。国立公園で宿泊施設の清掃係として働く者も多く、観光客のジャングルトレッキングに同行するツアーガイドの仕事をする者もいる。一面では、このことによってジャクン族はマレー語だけでなく英語も学ばざるを得なくなっている。観光客の多くは外国人だからだ。ジャクン族にとって英語が堪能であることは、自分たちの知識を観光客に伝えるための手段である。たとえば、ジャングルでのサバイバル術を、ジャクン族の社会で独自に受け継がれてきた「すべきこととしてはいけないこと」を含めて教える必要があるのだ。

同じく原マレー語群のカナク族は、半島側で最も存続が危ぶまれているコミュニティの一つで、部族民は83人しか残っていない。この部族はやや内向的で、学校は比較的近くにあり、朝夕の通学用の交通手段が特別に提供されているにもかかわらず、子どもの教育は主要な優先事項ではない。子どもが昼間にひとりで帰宅することもよくある。ある母親が言うには、学校で退屈したり、先生にしかられたり、他の子にからかわれたりすると勝手に帰ってくるのだという。人付き合いを避けたがり、部外者には容易に心を開かない。部族の言語は維持されているが、民話や文化的信仰は何もないと言う。だが、本当にそうかどうかは疑問だ。カナク族はジャクン族やマー・メリ族と違って、口承を後世に伝えることを重要視していない可能性のほうが高い。したがって、言語そのものはなんとか維持してきたとしても、このコミュニティは、取り戻せない形で伝統を失ってしまったものかもしれない。私自身が観察した様子から見ると、このコミュニティには社会的あるいは経済的な地位を高めたいという野心はまったくないようである。このような教育への関心の欠如と内向性に、母語を維持する彼らの能力との相関性があるかどうかを確認できれば有意義だろう。

ボルネオ島のサバ、サラワク両州では、民族の境界を越えてカダザン=ドゥスン語とイバン語が主に用いられている。学校ではマレー語が教えられ、授業も主にマレー語で行われるが、社交や買い物、地元での商業取引には、サバ州ではカダザン=ドゥスン語、サラワク州ではイバン語が使われる。サワワク州とサバ州では、学校でもイバン語とカダザン=ドゥスン語を教えている。サラワク州には数十の先住民族集団があり、その最大の民族がイバン族である。最小民族の一つはルガト族で、私がサラワク州を訪ねた2006年の時点で37人しかいなかった。ラジャン川上流に住むルガト族のロングハウスを訪ねるには、船で行くのが一番速い。このロングハウスは、やはり少数コミュニティであるタタウ族と共有されている。ルガト族やタタウ族のような少数コミュニティの間では、異民族間結婚が珍しくないことがわかった。より有力なイバン族と姻戚関係を結ぶものも多い。サワラク州では共通言語といえばたいていイバン語なので、異民族間結婚の家庭で使われる言語は当然ながらイバン語が圧倒的に多い。もっと高い教育を受けたい、生活様式を向上させたいという欲求から、サラワク州とサバ州では少数派の先住民族でもイバン語かカダザン=ドゥスン語やマレー語、英語を学び、積極的に使う。

このように多様な民族集団に恵まれたマレーシアはきわめて幸運である。ユネスコと、NPOのユネスコ・アジア太平洋文化センターによれば、マレーシアの識字率は93%を超えている(vi)。言語計画政策に関する限り、政府は、全国民が国語を少なくとも話すことができるようにし、それによって国に対する誇りと国民としてのアイデンティティを植えつけることに成功している。共通の言語を持つことで、意志伝達と相互理解の障害が全てなくなり、国が一つになる。国内外の多くの関心のある人々や団体、財団、研究者が、持続可能性を追求するためにマレーシアのさまざまな少数言語を調査し記録に残す努力をしている。近代化の波と、公用言語による教育を通じた社会的地位の向上を止めることはできない。しかし同時に、人々の多様な母語と民族文化を維持するためにも同等の努力が不可欠である。そうしなければ、私たちは地球上から少数言語を消し去ってしまう危険に直面することになるだろう。

(注)
(i)第3次マレーシア計画(1976~1980)
(ii)J. Fishman, Gina Cantoni (ed.) "Maintaining Languages: What Works and What Doesn't?" Stabilizing Indigenous Languages (Flagstaff, AZ: Northern Arizona University, 1996), pp. 51‐68.
(iii)Department of Statistics Malaysia〔マレーシア統計局〕http://www.statistics.gov.my
(iv)R.Y. Bourhis, Donsbach, Wolfgang (ed) "Ethnolinguistic Vitality and Communication" (Blackwell Publishing, 2008) Blackwell Reference Online, 5 September 2010: http://www.blackwellreference.com/public/book?id=g9781405131995_yr2010_9781405131995
(v)Choi Kim Yok, Kamila Ghazali, Ikbal Sheikh Salleh. 2006. In Asmah Hj. Omar (Ed). Etnografi Kampung Bukit Bangkong. Bahasa Mah Meri. Kuala Lumpur: University of Malaya Press.
(vi)Asia/Pacific Cultural Centre for UNESCO, National Literacy Policies, (2 July 2002): http://www.accu.or.jp/litdbase/policy/mys/index.htm