議論の場に参加できる次世代を育てる

「破滅を避ける道、国連の大望―「約束」―を成就させる道は、教育にある。」

J・マイケル・アダムズ J. MICHAEL ADAMS
フェアリー・ディキンソン大学(米国ニュージャージー州)学長
世界大学総長協会次期会長

国際連合憲章は、国境を越えて団結し、平和の維持、社会的進歩の促進、人類が直面する最重要問題の解決を目指すという人類史上最も意欲的な試みを表すものである。かつて米国のドワイト・D・アイゼンハワー大統領が言ったように、「国際連合は、戦場を議論の場に置き換えるという人類の最高の望みを託された組織」なのである(i)

しかし、その目標がいかに高潔であっても、国連にかかわる人々の決意がいかに堅くても、この組織は議論の場でしかない。このグローバルな議論の場に集まる人々の力が、そのままこの組織の力になるのだ。国境を越えて活動する人々がさまざまな国の歴史と多様な物の見方を理解し、人類の相互連結性と現代において最も重要な世界的課題を認識していない限り、国連は何一つ達成できないのである。

イギリスの作家H・G・ウェルズは、「人類の歴史はますますもって教育と破滅の競争になりつつある」(ii)と書いたことがある。われわれの敵は無知と不寛容だ。破滅を避ける道、国連の大望――「約束」――を成就させる道は、教育にある。国連に象徴される普遍的な目標とグローバルな同盟関係を調和させるためには、世界中の学生にグローバル教育を提供することが必要である。

会議テーブル越しに手を結びたいと思う者、世界市民でありたいと望む者は、単なる外交術以上の新たなスキルを身につけなければならない。過去を理解しつつ、常に未来に目を向けることが必要だ。さらに、21世紀の意思決定の複雑さ、課題、リスクを理解しなければならない。

二度の世界大戦の廃墟のなかから生まれた国連の最大の功績は、三度目の世界規模の紛争を防いだことである。世界の相互依存性が高まっている今日、国連の重要性はますます大きくなっている。グローバル化が広がるなかで、資金は大陸間を自由に流れる。物もサービスもアイディアも同様だ。だが不幸なことに、テロ、広域流行病、環境災害などの大きな問題も、同じように自由自在に国境を越える。どの国も、出入国審査を無視する物の考え方や問題から国民を守ることはできないのだ。

ある意味では、グローバル化は私たちの現状を理解する能力を超えるペースで進んできた。米国のジャーナリスト、トーマス・フリードマンは次のように書いている。「グローバル統合は教育の先を行っている。グローバル化のおかげで、私たちは皆かつてないほど互いのことを知るようにはなったが、互いについては相変わらずそれほど知らないのである」(iii)。教育はグローバル化に追いつかなければならない。そして、国連にも追いつかなければならない。

私たちはグローバル教育を通じて、この地球の相互連結的な性質を理解し、全ての人々のために行動する意欲を持った世界市民を育てなければならない。私たち一人ひとりが、他の文化や地域について学ぶことにもっと時間を使わなくてはならない。学校や大学は国際的な授業をもっと導入し、外国語課程を充実させ、海外留学の機会を拡大し、他国からの留学生も受け入れ、異文化間の対話を促進する必要がある。さらに、新たなテクノロジーをフル活用して学生たちを世界中の人々とつなぎ、学習する課題に関する多様な視点に触れさせることも必要だ。

国連憲章の目標に沿って団結する世界市民の一人になるには、どうしたらいいのだろうか? ギリシャのストア派哲学者は、教育の主な務めは他者の頭の中に入ってみることだと考えていた。言い換えれば、他者の目を通して問題を見て、その他者の視点を理解しなければならないということだ。そうすることで私たちは、自分自身についてもっと知ると同時に、他国の人々と連帯を築く。それによって、世界規模の問題を解決できるようになるのである。

理解しなくてはならないのは、私たち一人ひとりの世界に対する見方には、地理的条件や文化が影響するということである。二人で同じものを見ても、受け取り方はそれぞれ違う。そして、どちらも間違ってはいない。議論の場においては、この概念を理解していることで形勢が変わる。どちらが正しくてどちらが間違いかを決めるのではなく、両者がそれぞれ見方を変えなければならないという点で意見を一致させることが重要なのだ。

グローバル教育では世界全体を、さまざまな国、文化、社会が豊かに絡み合う一つの単位として考える。教師は常に教室に世界を持ち込み、教室を世界とリンクさせなくてはならない。学生は世界とのつながり方を学び、世界中の活動が自分たちに影響しうること、そして自分たちも世界に影響を及ぼしうることを理解しなければならない。グローバル教育は境界線をなくし、視野を広げ、学生たちを人類の功績の幅広さと多様性に触れさせる。何より重要なのは、グローバル教育は全ての人々が共有するものに光を当てるものだということである。

20世紀の思想家バックミンスター・フラーは地球を宇宙船にたとえ、実は全ての人間は宇宙飛行士で、時速6万マイルで飛行する惑星を住まいとして共有しているのだと説いた(iv)。フラーはこう考える。「われわれはこの宇宙船地球号を一つの全体として捉え、自分たちを運命共同体だとみなさない限り、この宇宙船を上手に操縦することも、長く操縦し続けることもできないだろう。全員が助かるか、誰も助からないかのどちらかしかないのだ」。

これはまさに国連の推進力となる根本的な哲学である。残念なことに、近代の教育制度はこのようなグローバルな意識のもとに作られてはいない。むしろ、何よりもまず忠実な国民を育てる目的で作られたものだ。もちろん、国家の遺産と伝統を大切にするのは間違ったことではないが、他の国について学ぶことにも大いに関心を向ける必要がある。教育機関は国の目標や利益の促進に役立つべきだが、世界全体と、そのなかでの私たちの役割も理解させてくれるものでなければならない。

国連憲章前文はその冒頭に、「戦争の惨害から将来の世代を救う」との決意を謳っている。単純に言えば、戦争とは「他者」の人間性を否定し、「われわれ」と「彼ら」の違いを誇張することによって促進されるものだ。私たちが仲間の宇宙飛行士たちについて知り、彼らの物の見方や共通の人間性を正しく理解すれば、戦争の種が育つのははるかに難しくなる。そのような正しい理解を身につけることが、今、かつてないほど必要になっている。

グローバル教育を受け、世界市民になることは、平和の、そして国連憲章にあげられたあらゆる進歩の鍵となる要素である。さらに言えば、それは議論の場において必要な新たなスキルの基礎となるものだ。問題を他者の目を通してみることができれば、紛争や混乱を引き起こす恐れや誤解は生じにくくなる。私たちは力を合わせることを学び、互いについてもっとよく知らなければならない。そして、どの国も一国では対処できない問題を解決する決意を持って、議論の席につかなくてはならないのである。

(注)
(i) S.C. Schlesinger, Act of Creation: The Founding of the United Nations (2003), 287.
(ii) H.G. Wells, The Outline of History (1920).
(iii) T. Friedman, The Lexus and the Olive Tree (1999), 127.〔邦訳:『レクサスとオリーブの木――グロバリゼーションの正体』草思社、2000年〕
(iv) B. Fuller, Operating Manual for Spaceship Earth (1963).〔邦訳:『宇宙船地球号操縦マニュアル』筑摩書房、2000年〕